母、ガンで倒れる

朝8時頃、母が倒れた。文字通りに立っていたところから床に倒れたのだ。朝食を食べ終わり、僕がキッチンでお茶を入れようとしていた時だった。

急にリビングの方から「ドサリッ」と大きな音がした。ダイニングの隔壁から覗きこむと、母の足だけが床に伸びているのが見えた。

 あわててリビングに走り込むと、母が床に仰向けに倒れていた。頭は、マガジンラックと観葉植物の鉢の間に挟まるようになっていたが

意識はあるようで、「痛たた…」と言いながら後頭部を押さえていた。

 ヒヤリとした感覚が僕の体を走った。母のガン患部は左耳。

しかも、左側頭部には3回も脳腫瘍手術で切り開いた手術痕がある。母を助け起こしながら、反射的に父を呼んでいた。

父は、所用で東京に出かける予定で、まさに玄関で靴を履いているところだった。

僕の呼びかけにすっ飛んできた父といっしょに、母をとりあえず近くにあったこたつに入れる。

「大丈夫?」「どこを打った?」などと問いかけている矢先、母の左耳から「ポタリッ」と血が垂れた。

僕も父も、それは焦った。

母を横にならせて、ティッシュで患部を抑え止血。ガーゼと耳を覆う保護パッドを取り替えて布団に寝かせ、ようやく落ち着いた。

母の左耳ガン患部は、相変わらずすさまじい。

複雑なはずの耳の形は原型がなく、何度も血が出ているカ所は膿が溜まっていた。

いや、膿が出るだけまだいい。 白血球が存在していれば一応、傷は現状維持でそう大きくは広がらない。

母が言うには

「急に目が回って、倒れた」そうで、それも血液中の成分が減っているからだろうと想像はできる。

病院に連れていくべきか、もう少しこの場で寝かしておくべきかやはり、判断は父に任せることにした。

しかし、僕は情けない気持ちだった。

普段から母のケアは父に任せっぱなしだ。先程の処置もほとんど父がやった。

母が倒れた時、父がすでに家を出ていたら僕はガーゼの在りかもわからなかった。父も仕事を引退して家にいるから、と甘えていた自分。

結局、父が東京行きを中止してくれたから、こんな風にブログなんぞ書いてられる。

仕事しているとはいえ、パソコンでできる在宅だ。

「俺はなんのために実家に戻ってきたのだ」と、いま猛烈に自分を責めたい気持ちだ。もっともっと母のために時間を使おう。もっともっとガンと向き合おう。

そうだ、ガンと闘うには家族全員が惜しみなく力を合わせなくてはならない。