癌のせい?文字が書けない

「頭が痛い」と母が言う。

最初は左耳のガン患部かと思ったが、そうではなく、頭頂部の内側が痛むようだ。
昼間に病院に行って来たが、痛み止めの薬がまた入っていなかったようで、夕飯後に父が取りに行った。

それまでの間、数時間空いたことによって朝飲んだ薬の効果が切れてしまったせいかと思われるが、なんともやるせない。

母は、そんなギリギリのところで生かされているのだと実感してしまう。
しかし、左耳だけでなく頭の真ん中まで痛むというのは心配だ。くどいようだが、母のガンは足を休めることなく進行している。
「だんだんガンが耳から脳に移ってきちゃってるのかな…」

などとぼんやりと思うが、すぐに頭を振って打ち消す。
こういったことは、今こうして文章に書いている時には、第三者から見たことのようにどこか麻痺している。

そんな自分自身を変に思いもするが、それすらも頭の後ろのほうでおぼろげに思うだけだ。
この間の小さな地震についての話をしている時、母は「東日本巨大地震」と紙に書いて、そこにふり仮名を振っていた。

書道をやっていただけあって、そこに書かれていた漢字は間違いも無くキレイなものだった。

だが、ふり仮名を見て、僕も父も思わずハッとなってしまった。
「ひがしにほん きょしん しょしん」。
どうも母は脳の言語野をやられてきてしまっているようだ。

自分の書いている文字を認識できていないみたいで、しゃべりたいことを順序だてて話すことが困難になってきている。

これは、15年前の脳腫瘍摘出後にも起きたことで、母はそれから数年かけてようやく人並みに文字を読んだり書いたりできるようになった。

が、今回の場合は今後治っていくという希望が持てない。
その日、父は、母が寝室に入ってから僕を呼び

「なるべく母さんに話しかけて、母さんにもたくさんしゃべらせよう」

と提案してきた。
母は携帯メールに返信するのも大変みたいで、短い文章でも何度もやり直しが必要だった。
僕がそばについて教えてやると

「代わりに打って」

と言ってくるが

「自分でやらなきゃだめだよ」

と、心を鬼にする。
母は、指で空中に一字一字描きながら、ゆっくりと携帯のキーを押し、欲しい文字を探す。

そんな母に、僕は

「がんばれ、がんばれ」

と言いながらも、声が震えてきてしまう自分に気付いて、悟られまいと口をつぐんでた。